あろうだじんじゃ
福岡県北九州市八幡東区川淵町2−11
明治35年(1902年)、明治政府の神社合祀政策によって水神社・明神社の二社を合祀した神社で、 水神社は慶長2年(1597年)、時の庄屋によって岩渕堰の取水口に農業の守護神として祀られ、その後、元..
明治35年(1902年)、明治政府の神社合祀政策によって水神社・明神社の二社を合祀した神社で、 水神社は慶長2年(1597年)、時の庄屋によって岩渕堰の取水口に農業の守護神として祀られ、その後、元禄年間(1688年ごろ)に医療と酒造の神、少彦名命が併せて祀られたそうで、明神社は天平12年(741年)に板櫃川の合戦で破れた藤原広嗣を住民が川上に、荒武党明神として崇敬し祀ったのが起源とされております。
彌都波能売命、少彦名命、藤原広嗣