くまくじんじゃ
愛知県西尾市八ツ面町麓77
「参河郡村正記」に崇神天皇の代に久麻 久ノ連が丹後国与謝の里より来て、この地を開拓し社を小丘に設けた、と「延喜式神名帳」 小社、 久麻久 神社幡豆郡とあり、古くは大宝天王宮を合祀して、 大 宝天王と..
「参河郡村正記」に崇神天皇の代に久麻 久ノ連が丹後国与謝の里より来て、この地を開拓し社を小丘に設けた、と「延喜式神名帳」 小社、 久麻久 神社幡豆郡とあり、古くは大宝天王宮を合祀して、 大 宝天王とも称し又鎌倉期(一二四九)には、源義家の 六世満氏はこの荒川の地を領して荒川と名乗り、崇敬 あつく荒川大宝天王と称す。 安土時代 (一五九二)には荒川甲斐守は七十貫余の社地を寄進、徳川家光二九 石を朱印寄進する徳川中期 (一七五一)には久麻久上 ノ社といったが明治六年久麻神社に復し、同六年十月 三日、大宝天王に戻り、明治十一年七月九日、久麻久 神社に復した。 郷社列格は明治六年三月である。大正 四年十月十五日字市場の竈神社と字新御堂の神明社と、字麓の白山社を本社に合祀した。
須佐之男命 大雀命 熱田大神 豊宇気毘売神 伊邪那美神 菊理比咩神 奥津日子神 奥津比売神 火産霊神
式内社(小)旧郷社 9等級
大宝年間(701~704)
本殿 入母屋造 5.56坪 拝殿 14.00坪 社務所 28.00坪
4月15日
本殿(国指定重要文化財) 陶製狛犬一対(県指定文化財) 牛頭天王神像一対(県指定文化財) 鰐口一個(県指定文化財) 木製狛犬一対(県指定文化財)
あり