天正18年(1590年)徳川家康公の江戸入城に伴い、その旗本岡野房恒公が長津田(千石)の領主として知行を許された。
房恒公は菩提寺として大林寺を開基し、長津田村の鎮守として、国家安泰、極楽平穏の霊験あらたかな神として、平安時代から全国の人々に尊崇され、「伊勢へ七度、熊野へ三度」とか「蟻の熊野詣で」といわれるほど、信仰の厚かった熊野三山(本宮、新宮、那智)のうち新宮(速玉大社)より若一王子権現をこの地に勧請して慶長元年(1596年)に創建、別当寺として福泉寺を開基して神社の管理運営にあたらせた。
その後、明治維新の神仏分離令によって権現をとり若一王子神社と改め、明治6年に長津田村の村社に列せられて村人の崇敬をあつめてきたが、昭和33年の狩野川台風によって社殿が損壊、翌々年仮社殿を建てて、岡野家の造営になる立派な奥宮を保存してきたところ、時代の変遷と共に本殿再営の気運が次第に高まり、昭和61年、氏子並びに崇敬者の寄進によって台湾檜の良材を得て秋田の名工の技になる権現造りの立派な社殿の完成をみたものである。