ぜんこうじ
三重県四日市市本町2-7
明治2年(1869)、開基三枝樹守道(四日市、浄土宗光運寺第19世)は、明治維新後の廃仏毀釈の嵐の吹き荒れる中、市内東部の新開地に教線拡大を意図して教壇を新設し『聖覚教院』としました。場所が当時丸池..
明治2年(1869)、開基三枝樹守道(四日市、浄土宗光運寺第19世)は、明治維新後の廃仏毀釈の嵐の吹き荒れる中、市内東部の新開地に教線拡大を意図して教壇を新設し『聖覚教院』としました。場所が当時丸池(今の蔵町)にあったので、丸池御坊と呼ばれ親しまれました。明治13年(1880)、信州善光寺大本願中興久我誓圓尼公の全国巡錫布教のご尽力の一端として、信州善光寺より一光三尊善光寺如来の分身仏を奉戴し、明治20年11月本堂落成、信州善光寺伊勢国出張所(善光寺四日市別院)の嘱託を得ました。(鷹司誓玉上人ご執筆=善光寺中興誓圓尼公=大本願教化部発行の書物の24ページにも記載されています)その後、明治41年(1908)、現在の地(四日市市本町)に移転、戒壇巡りのある寺として大正、昭和初期近郊より多くの参拝者を集めました。 昭和20年(1945)6月、第二次大戦四日市空襲により、堂宇悉く焼失しました。その後、本堂・庫裡・観音堂を再建し現在に到っています。
浄土宗
一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)
三枝樹守道
善光寺四日市別院
無料