こうよういなりじんじゃ
山口県下関市豊前田町1-4-3
源流は往古長門国長府藩毛利甲州守細元公の客家老細川宮内正源広道家の鎮守の神として長府姥ケ懐に奉祀されていたものを、 享保16年一時右神祠を神宮司地内に遷し、越えて寛保元年8月細川家所領の豊前田紅葉谷..
源流は往古長門国長府藩毛利甲州守細元公の客家老細川宮内正源広道家の鎮守の神として長府姥ケ懐に奉祀されていたものを、 享保16年一時右神祠を神宮司地内に遷し、越えて寛保元年8月細川家所領の豊前田紅葉谷の現在地に遷座し、細川家鎮守の神と して奉祀す。 寛政8年には式年の大祭が執行され、細川家より代理人として 玄蕃太夫参詣し亀山社人形菱形数馬祭主となリ祭事一切を終了し同 年豊前田 町年寄大木七郎兵衛鍵預りを仰付けられ、以後豊前田町 並びに周辺町民の崇敬神として尊崇さる。 明治八年八月豊前田町民の協力奉仕によって祠を神社造りに改 築し落成を祝う神事大祭が行われ豊前田町民との結びつきは益々 深まってきたが、その後豊前田町に大火が重なったため、大正十五 年四月境内地内高台の現在地に移転改築することとなり厄除け並び びに商売繁昌を願う町民の絶大な協賛を得て現在のような荘重な 社殿が造営され盛大な落成遷座祭が執り行われた。 その後大火に見舞れることもなくいよいよ豊前田町や周辺の町 の守護神又商売繁昌の神として崇敬を高めている。
明治時代まではすぐ下にある福仙寺の鎮守稲荷であったが、明治政府の神仏分離政策により独立し、大正時代に現在の山腹に移転した。 長野市 戸隠 鬼無里の伝説 鬼女紅葉 平維茂に討たれたという「紅葉の岩屋」。 そ...
宇迦之御魂命 八重事代主命 大綿津見命 大物主之命
JR下関駅東口から徒歩約12分
無し