かねやまじょうあと
岐阜県可児市兼山古城山
天文6年(1537年)、近衛稙家の子で斎藤道三の養子となった斎藤正義(妙春)によって烏峰城(うほうじょう)の名で築城された。その後正義が謀殺されるまで11年間城主であった。 永禄8年(1565年)..
天文6年(1537年)、近衛稙家の子で斎藤道三の養子となった斎藤正義(妙春)によって烏峰城(うほうじょう)の名で築城された。その後正義が謀殺されるまで11年間城主であった。 永禄8年(1565年)、織田信長が近辺を支配下に入れたため、家臣の森可成が無人だった城に入り、金山城と改称する。その後、長可・成利(蘭丸)・忠政と城主が変わるが、森氏が35年間城主となった。 慶長5年(1600年)に忠政が川中島に転封されると、犬山城主石川貞清の領地となり、翌年犬山城主を継いだ小笠原吉次によって破却された。 明暦2年(1656年)には所在地が金山村から兼山村へ改称されたが、城はすでに廃城となっていたため現在も「金山」の字が用いられる。 昭和42年(1967年)に岐阜県史跡に指定され、平成25年(2013年)10月17日には国指定史跡に指定された。
有り