いいづめはちまんぐう
青森県五所川原市大字飯詰字福泉148番1
創建は弘治元年(1555)大房村の領主樺澤団右エ門が勧請したのが始まりと伝えられています。樺澤団右エ門が死去すると一時荒廃しましたが承応元年(1652)飯詰本村の鎮守社として再興され、参拝に不便なこ..
創建は弘治元年(1555)大房村の領主樺澤団右エ門が勧請したのが始まりと伝えられています。樺澤団右エ門が死去すると一時荒廃しましたが承応元年(1652)飯詰本村の鎮守社として再興され、参拝に不便なことから宝永2年(1705)に現在地に遷座し元々あった愛宕宮と合祀し、安永3年(1774)に飯詰組27ケ村の祈願所に指定されています。愛宕宮と合祀してからは上愛宕宮と称していましたが明治4年(1871)に八幡宮と社号を改称し愛宕宮を合祭する形式に変更、明治6年(1875)に石田坂村白山姫神社を遷座し郷社に列しています。明治7年(1876)には神官である松野博が拝殿を利用し寺子屋を開設しています。
譽田別尊 天照皇大神 軻遇突智命
郷社
弘治元年(1555)
平成6年(1994)に青森県重宝に指定
県重宝(飯詰八幡宮本殿)
有り