ほうぜんじ
長野県東筑摩郡麻績村麻8147
10世紀初頭に奈良興福寺系の寺院として創建されたと伝えられ、当時は法相宗岩龍山西谷寺と称していた。15世紀に廃寺となったが、明応元年(1492)に賢甫宗俊禅師を迎えて曹洞宗佛眼山法善寺となり、その後..
10世紀初頭に奈良興福寺系の寺院として創建されたと伝えられ、当時は法相宗岩龍山西谷寺と称していた。15世紀に廃寺となったが、明応元年(1492)に賢甫宗俊禅師を迎えて曹洞宗佛眼山法善寺となり、その後麻績城主服部清信が再興し、家庭円満の守り仏として檀徒、村民の篤い帰依を受け今に至っている。江戸時代には徳川三代家光から十三代家定まで年八石を賜る御朱印寺として将軍家の保護を受けた。
佛眼山
曹洞宗
聖観世音菩薩
麻績城主 服部左衛門清信
賢甫宗俊禅師 (再興)
信濃33観音霊場第1番(2番札所の集印も兼務)
不明
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有り
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