いくわじんじゃ
滋賀県野洲市冨波乙631-1
御祭神忠重公は藤原鎌足公の末孫で、寛弘六年、藤原氏の荘園であったこの冨波之荘の領主として大和の国より赴任。この地を開拓、住民困苦のもとであった一の澤に棲む大蛇を退治し、村民の永年の憂苦を払拭された。..
御祭神忠重公は藤原鎌足公の末孫で、寛弘六年、藤原氏の荘園であったこの冨波之荘の領主として大和の国より赴任。この地を開拓、住民困苦のもとであった一の澤に棲む大蛇を退治し、村民の永年の憂苦を払拭された。その後住民は、この徳をしたい、生和大明神と崇め、村の鎮守として奉斎してきた。朝廷の崇高厚く、延徳三年後土御門天皇は、正一位の神階と勅額を下賜された。大永六年、当時の領主藤村左衛門尉成俊は、田地三百石と社記を寄進した。当時神主以下十二名の社人が勤めていた大社であったが、天正四年、織田氏により田地の大部分を没収され、漸次衰微して行った。明治十年、村社に加列。昭和二十五年、本殿及び春日神社が宝暦・嘉永の棟札とともに重要文化財に指定された。昭和三十八年には本殿の解体修理が竣功した。昭和四十八年生和神社遷座七百年大祭が行われた。(滋賀県神社庁HP)
生和兵庫介藤原忠重公
平安時代
一間社流造、檜皮葺
本殿、春日神社(重要文化財)
無し