きまづかしんめいしゃ
宮城県遠田郡美里町木間塚字古舘33
正新町天皇の天正19年12月坂本河俊久磐城国亘理郡坂元本郷よりこの地に移社す。即ち俊久は下総国千葉氏庶流にして、其の先は、千葉七郎広定と謂うた。亘理城主武石左兵衛尉平高広の第三子で武勇を以って聞えた..
正新町天皇の天正19年12月坂本河俊久磐城国亘理郡坂元本郷よりこの地に移社す。即ち俊久は下総国千葉氏庶流にして、其の先は、千葉七郎広定と謂うた。亘理城主武石左兵衛尉平高広の第三子で武勇を以って聞えた。貞和の初奥州探題吉郎定家に属して屢々軍功あり、同4年2月亘理郡坂元郷五百余町を食み従六位下に叙せられる。この年妙見宮を村に建て尊信す。弘定の子丹波守広綱応永7年8月より宗家亘理(元武石氏)刑部少輔重胤の麾下に属す。其の9世の孫は、即ち参河俊久である。天正19年亘理兵庫頭元宗涌谷に移封、其の子美濃守木間塚の村に社宇を造営して妙見堂と称す。現社殿は、昭和2年造営にかかる。明治のはじめ現社号に改め、村社に列せられた。
天之御中主神、天照大御神
6月第1土日
JR東北本線鹿島台駅から徒歩45分
有り