当神社は粉河寺大門の近くに鎮座し創立年代は不詳であるが、天正年間藤堂高虎が、猿ヶ丘城粉河秋葉山に在城の際、氏神として崇敬された神社で、高虎が伊勢へ転封の節、現社殿を改築したと伝えられ、現在社殿の装飾の一部に室町時代彫刻の遺風が残され、更に神木と称される大楠樹が周囲を圧して聳立し、天然記念物として樹令千年余と推定され、この社が古社であることを自ずと証している。
この神社の氏子は粉河町大字粉河の北に位置する北町の住民であるが、北町は古くから粉河寺及び鎮守の産土神社との結びつきが強く、粉河祭に彩どりを添える山車運転には、この北町の山車が最初に運転されて、各町内の山車が運転されるというルールが今も守られている。(和歌山県神社庁HPより)