しょうぜんじ
兵庫県伊丹市中央2-8-30
創建は、「有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵)によると、天正17年(1589)とある。 また、元禄・享保年間に全国浄土宗寺院の沿革を調査記録した「蓮門精舎旧詞」(知恩院蔵)によっても、天正年間とな..
創建は、「有岡庄年代秘記」(京都大学文学部蔵)によると、天正17年(1589)とある。 また、元禄・享保年間に全国浄土宗寺院の沿革を調査記録した「蓮門精舎旧詞」(知恩院蔵)によっても、天正年間となっている。 法巌寺が編集した「法巌寺誌」によると、法巌寺六世心誉上人が寛永10年(1633)に引退し、東隣に正善寺を開創して同20年寂となっている。 これには、約45年の年代差があり、また寺伝には心誉上人は寛永10年には既に死去となっており、いずれが正しいかは不明である。 阪神淡路大震災で取り壊された本堂は、享保9年(1724)に再建されたとの記録がある。これは元禄15年(1702)の伊丹の大火により炎上し再建されたようである。 現在の本堂は、平成8年(1996)に鉄筋コンクリート造り二階建てで再建された。 山門は、薬医門で17世紀初期の建物である。 本尊は阿弥陀三尊立像で、江戸時代中期の作といわれている。 その他に、阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像、善導大師立像、法然上人立像が祀られている。
宝勝山
浄土宗
天正17年(1589)
阿弥陀三尊立像