ゆめのはちまんじんじゃ
兵庫県神戸市兵庫区氷室町1-8-8
当社は、平清盛の福原新都造営にさきがけ、新都の守護神として治承元年(1177)に創祀されたと伝えられる。
平清盛が、保元平治の乱が終わった翌年(1161)から承安3年(1173)にかけて、..
平清盛が、保元平治の乱が終わった翌年(1161)から承安3年(1173)にかけて、兵庫に一大港湾を建設した。
仁安2年(1167)5月、太政大臣を辞し、翌3年(1168)2月出家して入道浄海と称し、神戸・福原に別荘を構え、来住したが、政治の実態は福原にあった。
安元3年(1177)4月、京の都で大火災が発生し、都の三分の一を消失すると共に、引き続く飢饉で京は荒れ果てた。
清盛は復興が遅々として進まぬのに嫌気がさし、急遽8月4日に都を神戸福原に移す決定をなし、年号を「治承」とした。
清盛は自分の荘園・福原荘に新都[東西十町、南北十五町の条里を計画]、福原荘全域が展望できる当神社境内において「のろし」をあげ、新都の位置を測定し、条里を決めたと考えられる。そして、都の繁栄を祈願して、ここに八幡大神を創祀したのであろう。
応神天皇
夢野の厄神さん
1月7日
市バス「石井町5丁目バス停」下車北西へ徒歩10分
無