ごくらくじ
富山県高岡市博労町3-22
開基は後醍醐天皇第八皇子宗良親王。興国3年、親王は越後寺泊より海路越中に入られ、名子の浦牧野に御座所を設けられた。この地にて父帝後醍醐天皇の三回忌を営まれ、一宇を創建し、安養山極楽寺と号せられた。..
開基は後醍醐天皇第八皇子宗良親王。興国3年、親王は越後寺泊より海路越中に入られ、名子の浦牧野に御座所を設けられた。この地にて父帝後醍醐天皇の三回忌を営まれ、一宇を創建し、安養山極楽寺と号せられた。創建当時は時宗であったが、第六世良然上人のときに浄土宗となり知恩院の末寺となる。
爾来240年この地にあったが、天正13年前田利家は佐々成政と越中にて戦い、この地に陣を布き、家臣松平伯耆守康正は当寺を陣屋として合戦、敗れた伯耆守は加賀に逃れ寺は兵火に罹る。よって第十四世正誉代に松平伯耆守の菩提寺である守山西海老坂の真言宗大悲院に移転。その後利家公高岡町を開町するに当たり、現在の鴨島領内に寺地を拝領、この地に堂宇伽藍を建てる(元和2年)。
明治12年高岡大火に類焼し、第41世開誉蜜運上人再建(明治23年起工式)現在に至る。
安養山
浄土宗
南朝 興国3年頃、北朝 康永元年(1342年頃)
宗良法親王
高岡新西国三十三観音霊場第4番 越中国法然上人二十五霊場第20番