おおずじょう
愛媛県大洲市大洲903
大洲城の歴史は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われています。その後、戦国時代を経て、近世初頭に大洲の地を治めた小早川隆景をはじめ、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加..
大洲城の歴史は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われています。その後、戦国時代を経て、近世初頭に大洲の地を治めた小早川隆景をはじめ、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備されました。 肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。 明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、惜しくも天守は解体されました。 その後、大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、市民による寄付等によって平成16年(2004年)に復元されました。 四層四階の複連結式天守の復元にあたっては、明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に当時の姿を正確に復元されました。このように復元に必要な多くの資料が残っていることは大変稀なことで、大洲城の天守の復元は、まさに地元住民の想いと、史料研究の集大成と言えます。 現在、江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されています。
JR大洲駅から徒歩約20分