ほうねんじくようとう
三重県名張市黒田1997
名張市黒田の通称・愛宕山の麓に法然寺があった。 かつて伊賀国の浄土宗布教の拠点であったと考えられるこの寺院は、江戸時代には規模を縮小し、榮林寺の末寺となった。 この寺院が全国的に知られるのは、法..
名張市黒田の通称・愛宕山の麓に法然寺があった。 かつて伊賀国の浄土宗布教の拠点であったと考えられるこの寺院は、江戸時代には規模を縮小し、榮林寺の末寺となった。 この寺院が全国的に知られるのは、法然上人のお骨を納めたとされる「法然寺供養塔」があることによる。 この石塔は、六面石幢に相輪がのる特異な形式で、幢身に刻まれた銘文には、浄土宗の開祖源空(法然)以下、6代にわたる先師を供養するために、6代玄心の弟子智玄が、南北朝時代の至徳元年(1384年)に建立したことが記されている。 源空・弁阿・然阿・礼阿・向阿・玄心へと6代にわたる系譜は、黒田の法然寺が京都の清浄華院(一条派)に繋がる寺院であったことが伺える。 また、かつての法然寺本尊の阿弥陀如来立像は、平安後期に一木造で彫られたものであったという。 法然上人の消息(手紙)で知られる「黒田の聖人」ゆかりの地ともされ、浄土宗が諸国へ広まった歴史を感じとることのできる場所である。
宝池山
浄土宗
至徳元年(1384年)
法然上人供養塔
法然上人伊賀新二十五霊場 第25番札所
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