いしばしいなりじんじゃ
東京都台東区上野4丁目6−1
徳川中期の頃、信仰厚い石橋久七という人がいて、この地の発展を願い元禄元年に稲荷神社を創建した。 その後、付近の地境に争が起り、時の奉行大岡越前守が御神徳を戴き裁定し収めたという。
時は流れて..
時は流れて、戦後の混乱期に神社は荒廃衰退したが、昭和二十四年の火災の際、御神体と故事が石に刻まれて神地より出土し、犬塚信夫氏が旧建物の二階に安置して、多くの人々が厚く信仰した。 昭和五十八年一月、ビル新築に伴い信者の浄財で屋上に再建し、守護神 として御遷座した。
石橋久七が元禄元年に稲荷神社を創建した。 時は流れて、戦後の混乱期に神社は荒廃衰退したが、犬塚信夫氏が旧建物の二階に安置して、多くの人々が厚く信仰した。 昭和五十八年一月、ビル新築に伴い信者の浄財で屋上に御遷座した。
無し