そのべじょうせき
京都府南丹市園部町小桜町
園部城跡(園部陣屋跡)は江戸時代前期の1619年(元和5年)に但馬国出石城から移封された外様大名で、丹波国園部藩初代藩主・小出吉親が標高約174メートルの小麦山東麓の台地に築城を開始し、2年後に完..
園部城跡(園部陣屋跡)は江戸時代前期の1619年(元和5年)に但馬国出石城から移封された外様大名で、丹波国園部藩初代藩主・小出吉親が標高約174メートルの小麦山東麓の台地に築城を開始し、2年後に完成した園部城・園部陣屋の跡地です。 園部城は江戸幕府の指示によって櫓の造営が認められず、当初天守閣が造営されなかったことから園部陣屋とも言われていたが、1868年(慶応4年)に三層の小麦山櫓などが造営されました。園部城は北側の園部川・西側の半田川を天然の堀として利用し、南側・東側にも堀が造られ、小麦山南東丘陵に方形居館・武家屋敷が造営され、その周囲に城下町も造られました。ちなみに小麦山にはかつて太宰府に左遷された菅原道真の邸宅があったと伝えられ、その後生身天満宮が祀られていたが、1653年(承応2年)に現在の場所に移されました。1830年(文政13年)の文政京都地震によって練塀が破損しました。 幕末に京都で池田屋事件・禁門の変などの武力衝突が相次いで起こったことから園部城の改修を江戸幕府に申し出て内諾を得たが、大政奉還が行われて正式な許可が出ず、1868年(慶応4年)に明治政府に願い出て認められ、三層の小麦山櫓などが造営されました。 1871年(明治4年)に廃藩置県が断行されると園部県県庁が置かれたが、園部県がすぐに廃止され、1872年(明治5年)に現在に残る建物以外が官有地や民間に払い下げられました。その後小学校、そして京都府立園部高等学校の敷地になりました。 2017年(平成29年)に巽櫓・櫓門・番所が、京都府の暫定登録文化財に登録されました。
JR嵯峨野線園部駅から京阪京都交通バスで園部高校前下車
無料 南丹市文化博物館は有料
有り(公園駐車場)
有り