はくうんしゃ
兵庫県明石市桜町8−19
白雲桜は、元は大きな枝垂(しだれ)桜で、当時江戸から見物に来るほど美しい さくらであったと伝えられている。
第8代明石藩主・松平直明(1682-1701)が、この桜を詠んだ 「幾千枝の柳も..
第8代明石藩主・松平直明(1682-1701)が、この桜を詠んだ 「幾千枝の柳も兄や絲(いと)さくら」という発句も残されている。
その桜にちなんで、江戸時代の中頃に「東土手ノ町」と呼ばれていた通りが、 「櫻丁」に変わり、現在の町名「桜町」に引き継がれてきている。
江戸時代を通して広く知られたこの桜は、代を重ね、明治44年(1911)、 外堀を埋めて道路にする工事が行われたとき、この地に移植され、橋本海関の 撰文による桜の由来などが刻まれた「白雲櫻」の碑が建てられた。
この白雲の櫻」は万葉歌人で歌聖と称えられた柿本人麻呂の歌より名付け られたものと伝えられている。 白雲社の説明看板より