しもだじょうし
静岡県下田市三丁目3-1174
天下統一を進める豊臣秀吉と、小田原を本拠地とする北条氏の対立が表面化してきた天正16年(1588)、陸の防衛拠点である箱根の山中城(三島市)とともに、海の防衛拠点として下田城が取り立てられ、伊豆郡代..
天下統一を進める豊臣秀吉と、小田原を本拠地とする北条氏の対立が表面化してきた天正16年(1588)、陸の防衛拠点である箱根の山中城(三島市)とともに、海の防衛拠点として下田城が取り立てられ、伊豆郡代清水上野介康英を城将に大改修が行われた。 城は、海と断崖に囲まれた天然の要害に築かれている通称天守台跡と呼ばれる高台を中心に、四方に延びた尾根の要所に守備陣地である曲輪や櫓台が設けられ、総延長700mを超える空堀が巡る伊豆半島最大規模の山城である。 天正17年(1589)12月から翌年にかけて、雲見の高橋氏や妻良の村田氏などの南伊豆の武士が入城し、小田原からは援将江戸摂津守・検使高橋郷左衛門尉が派遣され、臨戦態勢が整えられていった。 天正18年(1590)3月、清水湊(江尻)に集結した豊臣方水軍は、長宗我部元親や脇坂安治らが率いる1万人を超える大船団で、西伊豆を制圧しながら下田城に迫った。 圧倒的な兵力を眼前に、城将清水康英ら600余名の籠城軍は、50日程防戦に努めたが、4月下旬には開城の勧告を受け入れ、城を出た。
伊豆急行線・伊豆急下田駅から徒歩20分