たかくらじんじゃ
京都府綾部市高倉町
後白河天皇の第2皇子である以仁王が源平の戦いで宇治で敗戦したのち、綾部市内の吉美地区(現在の里宮高倉神社)へ落ち延びてこられました。 里人は尊い王を慰めましたが、矢傷が悪化し、治承4年6月9日に2..
後白河天皇の第2皇子である以仁王が源平の戦いで宇治で敗戦したのち、綾部市内の吉美地区(現在の里宮高倉神社)へ落ち延びてこられました。 里人は尊い王を慰めましたが、矢傷が悪化し、治承4年6月9日に29歳で逝去されました。 里宮高倉神社にお祀りされていましたが、養和元年9月9日に現在の場所に移し奉り、「高倉天一大明神」として以仁王を祀る高倉神社が創建されました。
以仁王
養和元年(1181年)
1月1日 歳旦祭 7月土用の最初の丑の日 土用の丑大祭 10月 例大祭など
土用の丑祭では、腹痛にお蔭のある神様として、「はらわた餅」が有名です。
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