創祀については詳かにし得ないが、延喜式内社で、祭神に天鈿女命の名が見えていたが今はない。この社名は、鎮座池の岸岡に由来するという説と、岸弾正左衛門尉盛長が吉志太彦命の後で、岸の地に住んで氏祖を祀ったことに始まるという説との両方がある。『五鈴遺響』に「土人相伝云日往昔金銅ノ獅子頭此神社ノ壇下ニ埋メリ、此ニ據テ今ニ至リ他社ノ獅子頭此ノ地ヲ過ルトキハ必頭ヲ低テ拝礼シテ去レリ、是遺留ナリト云、神風徴古録ニ総テ当国ノ獅子頭ニ承安4年(1174)月岩作ト刻セリ、即高倉院ノ年号ニシテ徴古録ニ云処ト同時ナリ」とあり、古くから獅子頭を神聖視した祭があったことがうかがえる。中世末には、岸岡に岸岡城が構築されており、数多くの古代遺跡も存在することを併せ考えると、岸というこの地の産土神と考えてよいであろう。延宝4年(1676)、元禄11年(1698)、宝永7年(1710)造営の棟札が残されている。