せきせみまるじんじゃ
滋賀県大津市逢坂1丁目20
当社の創祀は、嵯峨天皇の弘仁13年(822)と伝えられ、小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりで、逢坂の関の守護神として崇敬されていた。また、..
当社の創祀は、嵯峨天皇の弘仁13年(822)と伝えられ、小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりで、逢坂の関の守護神として崇敬されていた。また、天慶9年(946)に蝉丸命が上下社両社に合祀された。蝉丸伝承は時代と共に全国各地に広まり、天禄2年()971に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする芸能に関係する人々の信仰が厚くなった。 関蝉丸神社は、歌舞音曲・芸能の祖神として崇められ、盲目だった蝉丸が開眼する逸話にちなみ、眼病に霊験あらたかで、髢(かもじ<髪の毛のこと>)の祖神ともいわれている。その人物像は不詳であるが、醍醐天皇の第4皇子とも伝えられ、生没年も不詳。琵琶の名器・無明を愛用していた琵琶法師や歌人として有名である。下社のご祭神・豊玉姫命は、福を招き出世を約束する女神で、縁結び・安産・子孫繁栄の神として敬われている。 (下社掲示の説明文より引用)
蝉丸、猿田彦命
弘仁13年(822年)
京阪京津線大谷駅から徒歩10分
無し